水曜日, 7月 02, 2008

愛してるよ、カズ  (4) 疑問の解決。

私の今までのこの件に対する疑問がほぼ解決した。
”死”の価値観の捉え方の違いによるものだった。


”死”は、残された周りの生ある人間の為の出来事である。

”死”は、その人が生を終る出来事。



前者は一般的な現在のものの考え方であり主流のようである。

考えてみれば当然なのである。人は死ぬものであり、死んだら死について思考することはできない。よって死後は当人以外がそのことについて語るのであり、当人はそこに介在できない。

残されたものの役に立てば、これほど有効で発展性を持った思考であることは間違いない。


後者は私の考えであり、あくまで感傷的で発展性がない。万物は流転するのであり、過去のものは未来のものの役に立つべきである。


ただ少数意見であるようなので、あえてこの件でどうしても主張しておきたかったことを留めておきたい。

死ぬ前までは”死”は当人のものであり、出来れば当人の欲求・欲望・希望を冷静に判断し、周りは当人の希望を全力で叶えてあげなければならないのではないか?

そこに周囲の人の思考や希望・価値観は介入してはいけないのではないだろうか?

何かこの私の価値観による疑問にどうしても相対する番組であったのだ!



親の希望・願望・あえて欲望といいます。これらを7歳の死を目前にした痛みで苦しむ。自制心とか他人への配慮とか持つ必要がない状態の子供に対し押し付けているように思えるのは私だけなのだろうか?

私はこのことについてある方とその方のブログにて議論させていただいた。


http://usmletoer.exblog.jp/5387767/



彼は上総君が闘病中の病院で当時研修医をされており、上総君とは知り合いだったそうだ。

彼の立場からして彼の主張は当然のことであることは理解できました。

 ただその議論の中で、彼が仰っている一説に”上総君の本音を理解されていないな!”と思いました。将来精神科医を志している方のようです。



7歳以下の子供の本音。まして死の病で体が不自由な子供の本音。弟なんか関係(そんな存在認識して)ない。そんなことよりも”僕にかまってくれ!”



上記の本音を伝えられぬまま。

否、あえて上総君は本音を伝えることをせず・・・。



当初の推察にあまり遠くない結論となりました。



やはりこういう内容のTVは物事を冷静に伝えるためにも、リアルの現実の映像を編集して伝えてはいけない。そのリアルな映像の凄さ・強いインパクトに

心・感情が振り切れてしまう。

リアルな映像を伝えるということは人の死に映像・カメラで介入することだ!

リアルな映像を伝えたいなら編集せずに全てを伝えろ!

人のリアルな死を映像とはいえ他人が勝手に切り刻んで編集するな!

そういうものをお茶の間のあかの他人に垂れ流すな!



死への冒涜に近い行為と思い関係者に抗議します。





上総君のご冥福を心よりお祈りします。



                    合掌

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

今回のやり取りを傍観していた一人です。

物事の捉え方は人それぞれです。
そして、子供のことを一番に考えているのはまぎれもなく、その両親です。
あなたは子供の気持ちを誰も理解していないといいますが、あなたこそ本当に理解できているのでしょうか。
ブラウン管を通してしか知らない子供の真実をあなたはどうして知ることができるのでしょう。
たくさんの視聴者(読者)同じく、推し量ることができるだけです。

子供のことを一番考え、理解しているのは誰よりもその子を愛しているご両親です。
そして子供を教育し責任を負うのもご両親です。
そのあなたが「親も周りも子供の気持ちなんて何にも分かっていない」と息巻くのはそれこそエゴなのではないでしょうか。
なぜわかるのですか?なぜ理解できるのですか?

私はテレビ放映が是か非かを語りたいのではありません。
このご家族の間には私たちの知らない日常があり、事実があり、愛があり、真実があったでしょう。それだけは確かです。
そこに、子供作りにいそしむなんてそれこそ親のエゴだとかいうこと自体、あなたがあなたの目線で一方的に押し付けたエゴでしょう。

匿名 さんのコメント...

moさん

あなたが仮に上総君の親であった場合、あなたはその状況を見ず知らずのTVスタッフにカメラで撮影させますか?
 わが子の苦しむ姿。子供との愛情溢れるやり取り。これらの行為を他人にTVを通じて公開したいですか?

こういう最もプライベートであるべき行為を公共にさらけ出す人間に、”親とか親の愛”をうんぬん主張する資格はないと思っています。
上記が私の主張です。

あなたが”私も同じことをします。TVでその哀しみを伝えたいです。”というなら、私は、貴殿の主張に納得します。
 この場合、私と貴殿の間には大きな価値観のずれがありますので、この議論は成立しません。

よくTVで猿や象の赤ちゃんが密猟により親が殺され、その後必死に生きるドキュメンタリーがあります。悲しくなります。
 多くの人はこれを見て悲しくなり、日常あまり使用しない”哀しみ”の感情を大きく揺さぶられ感涙すると思います。

 私はこの手法を人間に当てはめてはいけないと思う。それを行う人間がえらそうに”親”とか”愛”とか言っても・・・。
 
 昨今プライベートを暴露することがはやりです。プライベートを覗くのは人間の欲求であることは間違いありません。
プライベートな自分たちのSEXをTVで見せてもぜんぜん問題ないと私は思っています。実際はダメですが・・・。
 プライベートという意味ではこの問題は
SEXとは比較にならないほど深く重いと思うのですが・・。そこには表現が難しいですが明確な境界があるように思います。
 この番組や番組関係者はその境界限度を超えてしまいました。
 人間がやってはいけない境界限度を超えたことに対し、あえて警笛を鳴らさせていただきました。
 あまりに哀しい出来事に貴殿はこのことを忘れていませんか。ましてや賞賛し、宣伝の片棒を担いでおられる。
 
 人間にあるまじき行為を平気でやられたこの両親の気持ちはどう考えても理解できない。

だからその意味を込めて”子供作りにいそしむ”という表現を使わせていただいた。

匿名 さんのコメント...

ぼくは是か非かを語りたいわけではないと言ったはずです。
論点がずれています。

この調子で、あなたはいとも論点がずれているんですよ。話を聞いていない。
客観的とおっしゃってますが、意見も聞かず自分の感情論をまくしたてて完全なる主観以外の何ものでもないと思うのは僕だけですか。

ひとりで勝手に展開されるならご自由にと思うのですが、他人のブログでかみつくなど目に余る行動だったので、(議論というには程度が低く、はっきり言って破たんしていたと思います。)少し意見させてもらいました。
上の記事でコメントされている方も僕と同じように感じているのではと思いますが・・・。想像ですが。
しかし、あなたとまっとうなやり取りはこのような文字を通した媒体で行えるものではないと思いましたので、コメントはこれで最後にします。

不適切と思えば消してくださって結構です。