火曜日, 12月 30, 2008

見えないことは不幸じゃない~全盲夫婦の夢と子育て

人は何でも許される?
テレビでは妻の母も全盲であった。
親子3代・・・・・。
命の泉。DNAを繋ぐ。
貰った物は次の世代にバトンタッチ。
人間が全員。目が見えなかったら良いのか?
そうすると見えないわけだから気にならない。
その為にも仲間を増やさなければ・・・・・ということなのかねェ。
それとも、こういう状況の中でも子供をつくるという考えをできる人も居るので
もっと一般人は子作りに励んで少子化を失くそう。
との主張か?

涙は誘うが、何を主張したいのか?分からない。

昔、”健全な体に健全な心が宿る。”体を鍛える趣旨の標語があった。
逆説的に”不健全な体に健全な心が宿るのは至難の業である”と思う。

ところでこの番組のナレーションは薬師丸ひろ子であった。
今でもかわいいおばさんだ。昔はかわいかったなァ・・・。
皆の羨望の的。アイドル。 特別に健全な体をもった人だ。
彼女が健全な心を持ち合わせているかどうかは不明だが、
この手の番組のナレーションが似たような感じの人が多いのは
何か意図があるのだろうか?

心配なのは目が見える妹さんだ。
可視な事で思考の判断基準の条件の中に、この両親には想像できない条件がひとつ追加されることだ・・・。
見えなくて助かってることが、目に見えると大きな悩みにならないか?
それを思考できる年齢になった場合、妹さんは?人間はそれを克服できるだろうか?

他人事で関係ない事だが、下記の行為についての批判である。


見えないことは不幸じゃない~全盲夫婦の夢と子育て~
▽全盲のマラソン・ランナー福原良英さんと妻で全盲のソプラノ歌手、理絵さんは子育ての真っ最中。二人娘のうち長女も遺伝性の全盲だ。夫婦それぞれの夢と家族の絆を描く。
全盲のマラソンランナー・福原良英さん(41歳)と、妻で全盲のソプラノ歌手・理絵さん(34歳)は、子育ての真っ最中。2人娘のうち、6歳の長女も遺伝性の全盲だ。夫婦には信じている言葉がある-「見えないことは“不便”だけど“不幸”ではない」。この言葉の意味を娘たちにも伝えていきたいと、理恵さんは2人の娘にあてて手紙をつづることにした。この手紙を語り部に、福原さん一家の暮らしと心の動きを追う。

金曜日, 12月 26, 2008

介護疲れ71歳娘。100歳父刺殺 判決は・・・

懲役3年 執行猶予5年

人はそろそろ死ぬ権利を確立した方が良い。
死ぬ尊厳を大切にすべきでは・・・。

71歳の介護疲れの子には、死を与える権利があるのでは。
人はほんとに高齢まで生きたいのか?
死ぬのが恐いだけなのでは、恐怖なく安らかに死ねたなら・・・。

この思想で困るのは、医者や一部の成功者だけなのでは・・。
一般人が簡単に安楽死できるようになると、一般人が少なくなったら
困るのは一般人を利用して成功している奴らだけだ!

人間の中には”欲”の中でも強欲を持った人間のみ成功し財を成し、
長生きしたくなる。
そうでもない一般人は・・・安楽死を自分で決定したくないか?

一部の成功者が本を書き、その生き方を学び、少しでも成功者の仲間入り
したい一般人は本当に寿命を全うすることを望んでいるのか?


上記について気になるドラマだ!
参考までに

Star Treck TNG
第4シーズン 第96話
決別の儀式 Half a Life
http://www2u.biglobe.ne.jp/~mayuzumi/startrek/tng_guide/5th/epi125.html




宮崎市の民家で昨年12月、無職斎藤正行さん=当時(100)=が刺殺された事件で、 宮崎県警は19日、殺人の疑いで同居していた娘の無職佐藤智子容疑者(71)を逮捕した。 佐藤容疑者は、斎藤さんの介護に疲れたとの趣旨の供述をしているといい、 県警は無理心中を図ったとみて詳しく調べている。

金曜日, 7月 11, 2008

医者も人間

分かっているけど嘆かわしい。医者と裁判官・弁護士はパソコンのデータベースと検索機能で代用できる時代が来ることを強く願う。
まぁ可能になるのも近いのだろうが、努力・精進し既得権を得た彼らがそんなもの許すはずないか。

彼らは人一倍優れた暗記能力とその情報を引き出す能力・脳力を持ち、それを活用する努力と忍耐力と時間を消費するのをいとまないすばらしい人間であることは間違いない。

Willway_ER さんは精神科医を希望されている研修医だそうだ。
優れた脳容量を持つ人はそれを利用するために一般人よりそれを利用するための時間が必要らしい。
ある機会があり彼のブログを拝見させてもらい、面白く読ませていただいた。
読みやすい理由は表面的なもの。分かりやすく見えやすいもののみを表現されているからのようだ!

間違っても精神科というものを頼りにしてはいけないと確信した。

あと面白いブログの作成方法も学ばせてもらった。

土曜日, 7月 05, 2008

カクテルもどき?酎ハイもどき?気に入ってます。


先日ソーダサイフォンなるものを手に入れた。

炭酸水を造れるのである自宅で簡単に!
ちなみにカートリッジは1リットルの炭酸水で、75円くらい。
送料込み12箱*12個入りで換算して、安い!
自宅では水道水を東レのトレビーノにて浄水しているので、
その水をそのまま使用。
冷蔵庫で冷やし、これにておいしい炭酸水のできあがり、
あまり強くなく、朝の一杯にはちょうど良い。(作り立てが1番泡が強い。2or3日は大丈夫。)ほぼ一日で完。
最近のお気に入りはやはり寝る前の一杯だ!
カクテルのつもりが最近は中ジョッキで作っている
レシピを備忘録として、
===========
冷やしたGIN 20mm
グレープフルーツジュース 20mm
インスタントコーヒー 小匙 1.5
牛乳    少々
ハチミツ  適宜
重曹 耳掻き2くらい(泡立ちが良い。&以前通風を発症のため)
以上を中ジョッキに混入して、その後炭酸水を8分目まで一気に混入。
泡立ちが収まるのをまって、氷を挿入して中ジョッキ満タン!
=======
柑橘系とコーヒーのフレーバーとその他の・・・。
何も考えない真っ白な感覚にも良く!、考え事をするにも良い!
程よい均衡感を味わっていると独り密かに悦に入っています。
今後いろいろ発展しそうなレシピです。


水曜日, 7月 02, 2008

愛してるよ、カズ  (4) 疑問の解決。

私の今までのこの件に対する疑問がほぼ解決した。
”死”の価値観の捉え方の違いによるものだった。


”死”は、残された周りの生ある人間の為の出来事である。

”死”は、その人が生を終る出来事。



前者は一般的な現在のものの考え方であり主流のようである。

考えてみれば当然なのである。人は死ぬものであり、死んだら死について思考することはできない。よって死後は当人以外がそのことについて語るのであり、当人はそこに介在できない。

残されたものの役に立てば、これほど有効で発展性を持った思考であることは間違いない。


後者は私の考えであり、あくまで感傷的で発展性がない。万物は流転するのであり、過去のものは未来のものの役に立つべきである。


ただ少数意見であるようなので、あえてこの件でどうしても主張しておきたかったことを留めておきたい。

死ぬ前までは”死”は当人のものであり、出来れば当人の欲求・欲望・希望を冷静に判断し、周りは当人の希望を全力で叶えてあげなければならないのではないか?

そこに周囲の人の思考や希望・価値観は介入してはいけないのではないだろうか?

何かこの私の価値観による疑問にどうしても相対する番組であったのだ!



親の希望・願望・あえて欲望といいます。これらを7歳の死を目前にした痛みで苦しむ。自制心とか他人への配慮とか持つ必要がない状態の子供に対し押し付けているように思えるのは私だけなのだろうか?

私はこのことについてある方とその方のブログにて議論させていただいた。


http://usmletoer.exblog.jp/5387767/



彼は上総君が闘病中の病院で当時研修医をされており、上総君とは知り合いだったそうだ。

彼の立場からして彼の主張は当然のことであることは理解できました。

 ただその議論の中で、彼が仰っている一説に”上総君の本音を理解されていないな!”と思いました。将来精神科医を志している方のようです。



7歳以下の子供の本音。まして死の病で体が不自由な子供の本音。弟なんか関係(そんな存在認識して)ない。そんなことよりも”僕にかまってくれ!”



上記の本音を伝えられぬまま。

否、あえて上総君は本音を伝えることをせず・・・。



当初の推察にあまり遠くない結論となりました。



やはりこういう内容のTVは物事を冷静に伝えるためにも、リアルの現実の映像を編集して伝えてはいけない。そのリアルな映像の凄さ・強いインパクトに

心・感情が振り切れてしまう。

リアルな映像を伝えるということは人の死に映像・カメラで介入することだ!

リアルな映像を伝えたいなら編集せずに全てを伝えろ!

人のリアルな死を映像とはいえ他人が勝手に切り刻んで編集するな!

そういうものをお茶の間のあかの他人に垂れ流すな!



死への冒涜に近い行為と思い関係者に抗議します。





上総君のご冥福を心よりお祈りします。



                    合掌
ブログでの表現方法って難しいけど面白いな!ただ使い方がいまいち難しい!使い方の解説書ぐらい1000円くらいで販売してくれgoogleのブログなんだから!初心者にも分かりやすいように!

水曜日, 5月 28, 2008

愛してるよ、カズ  (3)

これを読んで憤慨されるなら少し考えろ!あなたがこういう状態に陥った時、あなたなら”この悲しい状況をTVカメラで撮影してTVで放映してください。”とTV局に頼みに行きますか?もしくはTV局から”この悲しい状況をぜひ撮影・録画・TV放映させてください。”と言われ承諾できますか? 何か違和感を感じていた。
子供の記録・記憶を後世に残しておきたい。という気持ちは理解できる。
子供の悲しい記録を映像に記録する。それを多くの見知らぬ他人にTVという
ある意味いい加減な商業媒体を通じて、広く公表・宣伝する。
挙句に商品としてその記録・記憶を販売する。
皆様買ってあげてください。そして大いに泣いてください。心が洗われた気分をあじわえますよ!

愛情というものには人それぞれ表現方法があり、理解できないものもあるだろう!
上総君に対する個人の尊厳を心静かに身内で共有することは、上総君にとって寂しく・悲しいことなのだろうか?
彼はそんなに有名になりたかったのだろうか?

ところで物事には原因と経過と結果がある。
ちなみに小児がんになった原因はなにか・・・・?これをはっきり示せ!!

経過は・・・・・。TVの内容でその主張は理解した。
母親の悲劇のヒロインを演じたい欲望。と、自然の摂理に反してどうにでも関係して高額な医療費を発生させかつ、正義のヒーローを演じたい医者と、視聴率という金と欲そのものを求めるTV局の3者三つ巴の強力な欲望の円陣の中で踊らされる上総君・・・・・。

結果は上総君の死が確定して発生する。3者のそれぞれの利益の追求。

これを読んで憤慨されるなら少し考えろ!あなたがこういう状態に陥った時、あなたなら”この悲しい状況をTVカメラで撮影してTVで放映してください。”とTV局に頼みに行きますか?もしくはTV局から”この悲しい状況をぜひ撮影・録画・TV放映させてください。”と言われ承諾できますか?

水曜日, 4月 30, 2008

愛してるよ、カズ~ を視聴して(2)

何度も主張します。私はこのテレビを視て涙が止まらなかった。そして時をおいて疑問が生じた。

ここ20~30年の医療の技術的進歩を遂げた日本では、それ以前では死んで逝った子供たちでさえ人の手で生かされる現実である。発展途上国では100円の予防接種が打てなくて死亡する現実である。これを頭の片隅においていただいて

ある医療例がある。子供を生んだ母親が自分に注目を浴びたい為に、自分の健康な子供に異物や薬物を吸引させ、自分自身を”子供の悲劇に立ち向かうかわいそうな(ヒロイン)母親”であると演出し、自分の子供を何度も傷つけ病院へ通うという事例である。もちろんこの母親の行動・しぐさと、上総君の母親光武稜さんとは何の関係もない。

子供にとって親がすべてである。上総君の言動・行動を詳しく見てみると、視ている私を涙へと導く、見ている大人を共感の涙へと導くはずだ。
・・・・共感へと導きすぎではないか?この年齢の子供が、しかも痛みを伴う治療を行っている子供が・・・普通の何も無い子供でこんなに共感できる子供といったら子役。才能ある子役が迫真の演技を行っているような・・・・もちろん上総君は病の痛みを持っているのである。もちろん演技力ある子役ではない。一般の子供に親が思うように行動させることさえ至難の業であることは多くの方が経験し、ご存知だと思う。

一方でこの頃の子供にとって親。特に母親は全てである。生命の存続の為の唯一の存在である。母親の強い意志には、言葉の理解を超えたところで目に見えない服従を余儀なくされる。何を言いたいかあえて言うと、

実娘・彩香ちゃん殺害事件の畠山鈴香も綾香ちゃんにとっては母親であり、全てであったのだ!綾香ちゃんは鈴香の全てを信じ、鈴香の支持により何の疑問もなく、もしくは鈴香の意を察して橋の欄干に立ったのだろう。

この年齢の子供は母親の思うような行動を取ってくれるものでしょうか?親子の(親と7歳以下の自我の芽生え前の子供の生きる生存本能の為の感情)の意。を察する無言の他人には証明できない力では可能かもしれない・

再度問います。答えてください。この年齢の子供がこうも大人が共感する行動を取るものだろうか?編集という技術力があります。

なぜこのてのノンフィクションを編集する必要があるのだろうか?視聴者が見て飽きないように?彼の痛みをより視聴者に伝える為?他には製作者の意図を視聴者に伝える為。なんで製作者と関係ない上総君の死期の映像を切り刻んで製作者の意図を伝える必要があるのか?そんな権利がお前にあるのか?”はい、ご両親の許可を得ていますから。”

NCC(長崎文化放送)制作ディレクター志久弘樹さん。あなたにはこれについて答える義務がある。

月曜日, 4月 28, 2008

愛してるよ、カズ~ を視て

私はこのテレビを視て、涙が止まらなかった。そして自分なりに時をかけて考えてみました。まず自身に問いかけてみる。
あなた(お前は)は自分の子供が不治の病に犯されています。その状況を、見ず知らずの赤の他人に、自分の子供が死んでいくまでの状況を伝えたいと思いますか・・・?

私個人がその状況に置かれたならば、出来るだけ身内で周りの干渉を受けず時を過ごしたいです。周りに知らない人がカメラを持ってその状態を撮影しているなんて、私はその状況を考えるだけで虫唾が走ります。こんな考えはおかしいでしょうか?

しかも,
この状況が今後時あるごとに報道されると思っただけで・・・・。それにも増してこの状況をDVDで販売し、誰かの懐に1円でも利益を発生させると考えると・・・・。

自分の子供がこういう状態に置かれると想像力を失くすのだろう。いや失くすはずだ。仕方ないことだろう。すみませんでした。

それではこれを企画・撮影した製作者はどうか?
NCC(長崎文化放送)制作 ディレクター志久弘樹氏。彼の子供・身内が不治の病に仮に犯されたとき、彼は他のディレクターもしくは自分自身でこれをドキュメントしTVで放送するだろうか?答えを聞いてみたいものだ。

彼らは口を揃えて言います。”上総君の命の輝きをたくさんの人に伝えたい。彼が生きた証を多くの人に伝えたい”と主張したいようです。

マスコミという一面を持つTVドキュメントを通じて・・・?

ある尊い一人の生命の鼓動を、世間の見ず知らずの他人にわざわざ伝える必要があるのか?世の中では子供は多く死んでいる。多くの死んでいった子供たちは精一杯生き、生を全うし家族や周辺の人に看取られ、彼らの心の中で生き続けながら彼の生涯を終えていくのである。

”上総のことを記憶に留めて置きたかった”と仰っているようだが、自分たちの心中に、心静かに留めておけばそれでいいのではないか?
彼の不幸をわざわざ衆目にさらす必要があるのか?

もし、人の死を見ず知らずの他人に知らせることが記憶に留めることならば、他の死んでいった子供たちは?身内のみの記憶にとどめられて死んで逝った他の子供達は不幸なのか?

人間が欲求する喜怒哀楽の中でも共有の度合いが大きい”哀しみ”を強調し、視聴者にアピールし共感を得ることがテレビ局の仕事であり、これにより視聴率を得てスポンサーを獲得し自分たちの生活の糧としているシステム上、このことを否定するわけではありません。

しかし、公共の限られた特権を得ている電波で、他人のあまりにも激しい哀しみを提供するのはいかがなものか?

一般人の日常の哀しみの度合いが少なくなるのを助長してまで視聴率がほしいテレビ局・製作者の主張とはいったいいかなるものか?問いかけてみたい。

日曜日, 4月 27, 2008

光市母子殺害事件について

今後のことを本音で考える。
最も得をするのはこの加害者だ!
昨今自殺が流行っている練炭にかわって硫化水素。

加害者の彼は今後たぶん数十年、刑務所の庇護の下、衣食住を確保し、健全な生活を行い。自殺という自力の多大な労力を要することなく、殺してもらえる特典まで付与されて、もしかしたらそのうち病死などで天寿をまっとうするかもしれない。

どう考えても無期懲役で20数年後に社会に出て、一般生活を送らせられる判決よりも良かったのでは?

あんなことやって世間に出てきてもなぁ----
尤も一生懸命勉強して弁護士にでもなって世間で生きていくという方法論も
あるかな?

希望がなくなったぶん、目的が必要なくなったわけで、なにも考えず国家にやしなってもらい、殺してもらえる?としたら、少なくとも自殺志願者より良い立場だなぁ。