水曜日, 4月 30, 2008

愛してるよ、カズ~ を視聴して(2)

何度も主張します。私はこのテレビを視て涙が止まらなかった。そして時をおいて疑問が生じた。

ここ20~30年の医療の技術的進歩を遂げた日本では、それ以前では死んで逝った子供たちでさえ人の手で生かされる現実である。発展途上国では100円の予防接種が打てなくて死亡する現実である。これを頭の片隅においていただいて

ある医療例がある。子供を生んだ母親が自分に注目を浴びたい為に、自分の健康な子供に異物や薬物を吸引させ、自分自身を”子供の悲劇に立ち向かうかわいそうな(ヒロイン)母親”であると演出し、自分の子供を何度も傷つけ病院へ通うという事例である。もちろんこの母親の行動・しぐさと、上総君の母親光武稜さんとは何の関係もない。

子供にとって親がすべてである。上総君の言動・行動を詳しく見てみると、視ている私を涙へと導く、見ている大人を共感の涙へと導くはずだ。
・・・・共感へと導きすぎではないか?この年齢の子供が、しかも痛みを伴う治療を行っている子供が・・・普通の何も無い子供でこんなに共感できる子供といったら子役。才能ある子役が迫真の演技を行っているような・・・・もちろん上総君は病の痛みを持っているのである。もちろん演技力ある子役ではない。一般の子供に親が思うように行動させることさえ至難の業であることは多くの方が経験し、ご存知だと思う。

一方でこの頃の子供にとって親。特に母親は全てである。生命の存続の為の唯一の存在である。母親の強い意志には、言葉の理解を超えたところで目に見えない服従を余儀なくされる。何を言いたいかあえて言うと、

実娘・彩香ちゃん殺害事件の畠山鈴香も綾香ちゃんにとっては母親であり、全てであったのだ!綾香ちゃんは鈴香の全てを信じ、鈴香の支持により何の疑問もなく、もしくは鈴香の意を察して橋の欄干に立ったのだろう。

この年齢の子供は母親の思うような行動を取ってくれるものでしょうか?親子の(親と7歳以下の自我の芽生え前の子供の生きる生存本能の為の感情)の意。を察する無言の他人には証明できない力では可能かもしれない・

再度問います。答えてください。この年齢の子供がこうも大人が共感する行動を取るものだろうか?編集という技術力があります。

なぜこのてのノンフィクションを編集する必要があるのだろうか?視聴者が見て飽きないように?彼の痛みをより視聴者に伝える為?他には製作者の意図を視聴者に伝える為。なんで製作者と関係ない上総君の死期の映像を切り刻んで製作者の意図を伝える必要があるのか?そんな権利がお前にあるのか?”はい、ご両親の許可を得ていますから。”

NCC(長崎文化放送)制作ディレクター志久弘樹さん。あなたにはこれについて答える義務がある。

0 件のコメント: