当方の消されたコメントがいつのまにか復活されていました。
Will-Way氏には筋を通していただいたようで感謝します。
当方の勘違いだったようですが、私は潤氏にバカにされたと思っておりました。当方のまじめなコメントに対し、たった一行で
”Commented by 潤 at 2009-04-24 00:49 x
本を読んだことがある意見なのでしょうか?”と、
私だって本ぐらい読みます。当方憤慨し、潤氏に対して皮肉ったコメントを発しました。すると、Will-Way氏は当方のこの部分の記事のみを削除し、今後このブログへの書き込みを禁じるとの処分をされました。
そこでWill-Way氏に対しても、
http://usmletoer.exblog.jp/10359019/
このような皮肉を発しました。
今となってはどうでも良いことですが、
当方も流れの筋を通させていただき、
ここに一連の暴言を謝罪させていただきます。
と思ってコメントしたら、コメントできない。スパムコメントに指定されていた。この流れでは、私は、単に気に食わなかったら皮肉を言うバカな奴と認識されてしまう。これをWill-Way氏が意図的にやられたのではない事を願う。
潤氏へ
確かに”愛”には深浅・広狭がありますね。それに伴う苦悩?
が大きければ大きいほど”愛”は広く、深くなるのだと思います。
また、より広く深い愛を経験するには、
より広く深い苦悩にも耐えうる能力が個個に必要ですね。
私のように浅い愛・苦悩しか経験したことない者が、このような問題を
議論するのは無理がありますね。
親御さん御無事でなによりです。
今後、誰の身にも避けられない可能性があります。
できれば経験談を詳しくお聞かせ願いたいです。
広く深い苦悩を伴った愛。
出来れば私は経験したくありません。
もしかしたら負ける可能性があるし・・・。
もし負けたら犯罪者にさえなってしまう。当方のブログに
介護疲れ71歳娘。100歳父刺殺 判決は・・・
娘さんは犯罪者となりました。
畠山鈴香にだって”愛”はあった。
一般人なら普通に耐えられる愛に(伴う苦悩)に、耐えられず娘を殺害してしまった。
人にはそれぞれに耐えうる度合いが違います。
この放送内容は特殊であり特別です。この内容を賞賛し、褒めた称える事が
良い事なのでしょうか?
光武夫妻は医者の勧めを押し切って1000分の1の確立に賭けました。
これは上総君にとって痛みが伴うものでした。
この番組はドキュメンタリーで長期に取材しています。
この番組がなかったら、医者の勧めを聞いて緩和治療を行っていたかもしれませんね。
Will-Way氏と当方のブログで議論をしました。
https://www.blogger.com/comment.g?blogID=4615476058185392077&postID=6778098632745734583&isPopup=true
議論をしているうちに気付いた事は、愛してるよ カズのような子供への広深な苦悩する愛は、もしかしたら避けられた。
或いは、緩和されたような気がします。
広深な苦悩を伴う愛を乗り越える能力を持った光武夫妻。
その愛が故に、苦痛を強いられても、苦痛と戦わざるを得ない上総君。
この構図を見て、こんな苦悩には絶対耐えられない、情けない私。
私はこんな夫妻にある意味、嫉妬・羨望を持っていたのかもしれません。
子供に苦痛を負わせることができないという第三者の私に、苦痛を負わせても広深い愛を貫き通し、かつそれを公開する能力を持つ光武夫妻を、
情けない私が批判する事はできない。
そう表明される潤氏の意見はある意味正しいのでしょうね。
他の人もこういう状態におかれた場合。そうなるのでしょうか?
私はやはり情けなく、弱くても良いです。
出来るだけ不幸が起こらないよう予想し、行動します。
予防策を講じます。
広く深い愛を経験した事がない者の戯言と言われれば、否定出来ません。
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